ふわりのぽつり

うたって踊って恋をするような世界ってすばらしいよねって。

友達という言葉の破壊力

先日、「これぞ片思い!!!」なる場面を目撃した。

 

女性側が想いを寄せているパターンのやつで、彼女は相手の男性の一挙一動にきらきらしたり動揺しているのがほんとうに分かりやすい人だった。

 

ここがザ・片思いなのだが、切ないことに男性側はどうやら恋愛対象としてはまったく見てないようで、なおかつ別に想いを寄せる人がいるらしかった。

 

次のデートにいつ誘おうだとか、どこに行ったら喜んでくれるだとかを爛々としながら話す彼を見つめる彼女の表情は浮かなかったし、それを見ているわたしも至極苦しかった。

 

ああいう時、「わたしともデート行ってよ」だとか「妬いちゃうなー」だとかを口にできる女の人はすごい。うらやましい。

そういう人はきっと友達モードから恋愛モードへシフトチェンジできるようなタイプだし、きっと願った幸せをちゃんと掴めるタイプだ。

 

わたしも、もちろんその彼女もそういったタイプではないようで、「映画は?〇〇みたいって言ってたよ」だとか言って振り絞るような笑顔でアドバイスをしていた。

わかる。つらいよね。わたしもそうしちゃう。

 

そんな彼女の気持ちにはまったく気づいていない彼は、会話の終盤で「ありがとうな!俺ほんといい友達もったわー!」ときらきらした笑顔で言っていた。

 

「友達」

なんて罪すぎる言葉なのだろう、と思った。

 

悪気があったわけじゃ決してないし、誰も悪くなんてない。

それでも時に言葉は凄まじい破壊力を持ってしまうものなのだ。

 

 

 

最高の友達なんて思われるより、好きをぶつけてあっさり振られてしまう方がマシなのかもしれない、そんなことを思った夜だった。

 

 

ピンクが舞う景色

今週のお題「お花見」

 

桜といえば、わたしが真っ先に思い浮かぶのは制服や校舎がある景色。

 

入園や入学の写真には桜の花が写っているのが当たり前だし、記憶の中にもやはりはらはらと桜の花びらが舞っている。

 

 

大学の入学式、スーツに身を包んで思いっきり背伸びをしたわたしの目の前を、桜の花がめいっぱい舞っていた。

 

道にたまった花びらをかき集めて、ぶわあっと空中にばらまいたことも、舞ってる花びらを誰が1番早く捕まえられるか競ったことも、ぜんぶぜんぶ甘酸っぱくてきらきらした思い出だ。

 

大人になって制服を着ることがなくなったいまは、ビール片手に桜の花を見上げることが多くなったけれど、きらきらした思い出ほしいなあ。

眠さはきっと春のせい

先週あたりからのいろいろ。

 

 

里帰り出産のために実家に帰ってきた妹のお腹は、見るたびに大きくなっているし、どれだけ大きくなるつもりなんだろうとハラハラもするしわくわくもする。

 

ぼこぼこと波打つお腹は「エイリアンが入ってる!!」と思わずにはいられないし、ちゃんと中で生きているんだなあ、と当たり前ながら実感させられる。

 

初めてベビーベッドを組み立てたり、初めてベビー服を買ったり、初めてベリーペイントなるものもやったりした。

 

妹が初めてママになることはもちろんだけど、両親も初めておじいちゃんとおばあちゃんになるし、わたしだって初めておばさんになる。

すべてが、みんなが、初めてづくしなのだ。

 

昔好きだった男に誘われてごはんに行ったりもしたし、「なんで来ちゃったんだろう」と後悔したりもした。

 

日本酒をサービスしてくれるすてきな店員さんにも巡り会えたし、いままでで一番美味しい牛タンも食べた。

 

化粧品にお金がかかりすぎるとか、合コンのメンツがどうだとかで女友だちとビール片手に笑った夜もあったし、そのとき食べたもつ焼きは甘い味噌味であまりにおいしかったから、いい出会いなんかなくたって別にいいじゃないかと思えた。

 

おろしたての白いブラウスに赤ワインを飛ばす不運もあったけど、懐かしい人にばったり出会うラッキーもあった。

 

二日酔いを引っさげて出かけた日も何度かあるし、やっぱり今週もお酒とともにあったなあと実感した。

 

 

雨が降ったり、寒くなったりあたたかくなったりする気温に一生懸命ついていきながら、わたしは今日もがんばるのです。

 

すまし顔のおふたりさん

今週のお題「ひな祭り」

 

我が家はわたしと1つ下の妹の2人姉妹であったから、3月3日はもちろんわたしたち2人の日だった。

 

わたしの母親は記念日やイベントはきちんとお祝いするタイプで、ひな祭りにはわたしと妹にひとつずつちいさな金平糖の包みをくれたし、夜ごはんのあとにはひなまつりらしいピンクのケーキが出てきていた。

 

 

こじんまりとしたおうちに住んでいたからひな人形はお内裏様とお雛様、ぼんぼりや桃の花、ちいさなひしもちの飾りが付いているだけのささやかなものだったけど、わたしはそれが大好きだった。

 

階段に豪勢に並ぶひな人形にももちろん憧れたが、わたしにはお内裏様とお雛様、愛する2人さえ並んでいればよかったので、おばあちゃんからもらった手のひらサイズのものや幼稚園で作った折り紙のもの、ガラス細工の繊細なものまで、いろんなお内裏様とお雛様を同じ場所にぎゅうっと集めて幸せを感じていた。

 

 

ちらし寿司は好きじゃないから、全ての具をよけて白いお米だけ食べていたし、金平糖は見るのが好きで食べるのは好きじゃなかった。

 

幾重にも重なる着物の色に想いを馳せながら、ピンク色のケーキを口いっぱいにほおばり、5月5日もちゃっかりお祝いしてもらおうと思って眠りについた幼少期。

前略、本日も二日酔いなり

とろんとしたまなざし、少しばかりボリュームが大きくなった声。


突然に涙を流す人やデフォルトの表情が笑顔になってしまう人、やたらとべたべたしてしまう人に誰かに何かを諭したくてしょうがない人。

 

そのうち、恋愛や仕事、政治に自慢話、トピックはそれぞれだが心に秘めた熱い思いを吐き出し始める。


そう、みな酔っ払っているのだ。

 


私はこの瞬間を見るのが好きだ。
何度も同じ話をする姿も、やけに大きい身振り手振りも、人に迷惑をかけてしまっても次の日にはけろっと忘れてしまうところも、全部好きだ。

 


カフェでラテを片手に、元彼がやれクズだっただの別れて清々しただのしゃべっていた友達も、飲みものが梅酒に変われば事情が変わるらしく、彼のことが今もどれだけ好きなのかを女の子の顔をしながら話しだす。

「言ってることがさっきまでとは違うじゃない」なんて反論はナンセンスすぎる。この世には素直になれないことが多いのだ。

 

普段は寡黙な父も、焼酎を片手に「お父さんはお母さんがすごい好きでな...」と涙を流していたことがある。小さい頃は怖すぎてろくに口もきけなかった父が、しかも50歳を過ぎた大の大人が、愛うんぬんで泣いてしまうのかとその時は思わず笑ってしまったが、わたしが抱く父のイメージを大きく変えてしまうくらい母には魅力があるのかと、次の日から同じ女として母を尊敬するようになった。

 

かくいう私もワインや日本酒片手に、言うつもりのなかった好きや、言わなくてもよかったとげのある言葉たちをたくさん吐き出してきた。

 

それによってうまくいった恋もあったし、終わってしまった恋もあった。終わってしまった友情もあったし、さらに深まった友情もあった。大人になってから学んだいろいろはお酒とともにあった気がする。

 

そして今日も、泣いたり笑ったりをしながら大人たちはお酒を片手に自分の秘めたる部分をちらりと見せる。

電車を乗り過ごし、スマホをなくし、見知らぬ場所で目を覚ます自分に飽き飽きしながらも、そんな自分を愛し、それを話のネタにお酒を飲むのだ。

 

すべての愛すべき酔っ払いにこの文章を捧げたい。ビバ・アルコール!

まるくなって眠りたい

今週のお題「ねこ」

 

猫にまつわる思い出ってわたしはほぼない、というかたぶんゼロで。

 

飼ったこともなければたぶん触ったことすらないし、昔はふわふわしている哺乳類系は「命感がすごすぎて怖い」とかいう分かるようなよく分からない理由から、ペットで愛される類の生き物を恐れていた。

それを克服したいまも、飼いはじめたのは猫ではなく犬だった。だって、気ままな生き物より忠実な方が飼うなら扱いやすい。

 

そんなわたしは、猫派・犬派論争があったら確実に犬派なんだけど、どちらになりたいかと言われれば圧倒的に猫だ。

自分がなれるなら気ままに誰かを振りまわしたい。

 

猫っぽい女の子って、やっぱりいい。

 

イラストとかで描かれちゃうとなんだかあざとさの塊みたいなことが多いけど、操れない人って男女問わず魅力的だもの。

 

 

適度にじゃらされながらも、ふらふらとつかみどころがない、そんな魅力的な女性になれたらと恋愛に悩むアラサーは思うばかり。

わたしの誇れること

今週のお題「表彰状」

 

わたしは根っからに賞というものにあまり興味がない。

そりゃもらえれば嬉しいけれど、わたしの愛する周りの人たちが「すごいね」だとか「よく頑張ったね」だとかを言ってくれればそれだけでえっへん!となれるような幼少期だったし、いまもそうだ。

 

そんなわたしが花マルをもらえるようなことといえば、昔あった(いまもあるのかな?)羽田空港に飾られるビッグバード展や、テストであった靴のデッサンや、学校で作らされた絵本や詩集など絵や文字に関することだけだった。

 

自分の絵に貼り付けられたキラッと光る赤い星や、デッサンで唯一満点をもらった生徒であったこと、作った絵本を先生が放課後「それを譲ってって言ったら迷惑かな…?」ともらいに来てくれたこと、書いた詩集を読んだ知らない生徒たちからお手紙をもらったこと。

表彰されるようなことではどれもなかったけれど、走って帰っておかあさんに報告したくなるほど嬉しかった。

 

そんなわたしが唯一外できちんと表彰されたことがある。何がテーマであったのかなにも思い出せないが、何かについての作文のようなものを書かされて都庁で表彰された。小学生のときだった。

 

この時の記憶にあるのは賞とは関係ないことばかり。

 

大好きだったおじさん先生が放課後こっそり「〇〇ちゃんは文章が好きだから、これについてよかったら書いてみない?」とスパイさながらの小声で話しかけてきたこと。

 

書いた文章が都庁で表彰されることになって、おかあさんがお洋服を全身買ってくれたこと。(なぜだかラベンダーになりたくて全身淡かったり濃かったりする紫の服を選んだ)

 

表彰式のあと、おかあさんと学校を早退してまで式を見に来てくれた妹と、3人でおいしいスパゲティを食べたこと。

そのお店の壁画がとてもすてきだったこと。

 

 

結果より過程が大事だとも思わないし、結果が伴わなければ意味がないとも思わない。

がんばる過程で、忘れられない思い出ができること、それが大事だと知ってることがわたしの誇れること。