ふわりのぽつり

うたって踊って恋をするような世界ってすばらしいよねって。

眠さはきっと春のせい

先週あたりからのいろいろ。

 

 

里帰り出産のために実家に帰ってきた妹のお腹は、見るたびに大きくなっているし、どれだけ大きくなるつもりなんだろうとハラハラもするしわくわくもする。

 

ぼこぼこと波打つお腹は「エイリアンが入ってる!!」と思わずにはいられないし、ちゃんと中で生きているんだなあ、と当たり前ながら実感させられる。

 

初めてベビーベッドを組み立てたり、初めてベビー服を買ったり、初めてベリーペイントなるものもやったりした。

 

妹が初めてママになることはもちろんだけど、両親も初めておじいちゃんとおばあちゃんになるし、わたしだって初めておばさんになる。

すべてが、みんなが、初めてづくしなのだ。

 

昔好きだった男に誘われてごはんに行ったりもしたし、「なんで来ちゃったんだろう」と後悔したりもした。

 

日本酒をサービスしてくれるすてきな店員さんにも巡り会えたし、いままでで一番美味しい牛タンも食べた。

 

化粧品にお金がかかりすぎるとか、合コンのメンツがどうだとかで女友だちとビール片手に笑った夜もあったし、そのとき食べたもつ焼きは甘い味噌味であまりにおいしかったから、いい出会いなんかなくたって別にいいじゃないかと思えた。

 

おろしたての白いブラウスに赤ワインを飛ばす不運もあったけど、懐かしい人にばったり出会うラッキーもあった。

 

二日酔いを引っさげて出かけた日も何度かあるし、やっぱり今週もお酒とともにあったなあと実感した。

 

 

雨が降ったり、寒くなったりあたたかくなったりする気温に一生懸命ついていきながら、わたしは今日もがんばるのです。

 

すまし顔のおふたりさん

今週のお題「ひな祭り」

 

我が家はわたしと1つ下の妹の2人姉妹であったから、3月3日はもちろんわたしたち2人の日だった。

 

わたしの母親は記念日やイベントはきちんとお祝いするタイプで、ひな祭りにはわたしと妹にひとつずつちいさな金平糖の包みをくれたし、夜ごはんのあとにはひなまつりらしいピンクのケーキが出てきていた。

 

 

こじんまりとしたおうちに住んでいたからひな人形はお内裏様とお雛様、ぼんぼりや桃の花、ちいさなひしもちの飾りが付いているだけのささやかなものだったけど、わたしはそれが大好きだった。

 

階段に豪勢に並ぶひな人形にももちろん憧れたが、わたしにはお内裏様とお雛様、愛する2人さえ並んでいればよかったので、おばあちゃんからもらった手のひらサイズのものや幼稚園で作った折り紙のもの、ガラス細工の繊細なものまで、いろんなお内裏様とお雛様を同じ場所にぎゅうっと集めて幸せを感じていた。

 

 

ちらし寿司は好きじゃないから、全ての具をよけて白いお米だけ食べていたし、金平糖は見るのが好きで食べるのは好きじゃなかった。

 

幾重にも重なる着物の色に想いを馳せながら、ピンク色のケーキを口いっぱいにほおばり、5月5日もちゃっかりお祝いしてもらおうと思って眠りについた幼少期。

前略、本日も二日酔いなり

とろんとしたまなざし、少しばかりボリュームが大きくなった声。


突然に涙を流す人やデフォルトの表情が笑顔になってしまう人、やたらとべたべたしてしまう人に誰かに何かを諭したくてしょうがない人。

 

そのうち、恋愛や仕事、政治に自慢話、トピックはそれぞれだが心に秘めた熱い思いを吐き出し始める。


そう、みな酔っ払っているのだ。

 


私はこの瞬間を見るのが好きだ。
何度も同じ話をする姿も、やけに大きい身振り手振りも、人に迷惑をかけてしまっても次の日にはけろっと忘れてしまうところも、全部好きだ。

 


カフェでラテを片手に、元彼がやれクズだっただの別れて清々しただのしゃべっていた友達も、飲みものが梅酒に変われば事情が変わるらしく、彼のことが今もどれだけ好きなのかを女の子の顔をしながら話しだす。

「言ってることがさっきまでとは違うじゃない」なんて反論はナンセンスすぎる。この世には素直になれないことが多いのだ。

 

普段は寡黙な父も、焼酎を片手に「お父さんはお母さんがすごい好きでな...」と涙を流していたことがある。小さい頃は怖すぎてろくに口もきけなかった父が、しかも50歳を過ぎた大の大人が、愛うんぬんで泣いてしまうのかとその時は思わず笑ってしまったが、わたしが抱く父のイメージを大きく変えてしまうくらい母には魅力があるのかと、次の日から同じ女として母を尊敬するようになった。

 

かくいう私もワインや日本酒片手に、言うつもりのなかった好きや、言わなくてもよかったとげのある言葉たちをたくさん吐き出してきた。

 

それによってうまくいった恋もあったし、終わってしまった恋もあった。終わってしまった友情もあったし、さらに深まった友情もあった。大人になってから学んだいろいろはお酒とともにあった気がする。

 

そして今日も、泣いたり笑ったりをしながら大人たちはお酒を片手に自分の秘めたる部分をちらりと見せる。

電車を乗り過ごし、スマホをなくし、見知らぬ場所で目を覚ます自分に飽き飽きしながらも、そんな自分を愛し、それを話のネタにお酒を飲むのだ。

 

すべての愛すべき酔っ払いにこの文章を捧げたい。ビバ・アルコール!

まるくなって眠りたい

今週のお題「ねこ」

 

猫にまつわる思い出ってわたしはほぼない、というかたぶんゼロで。

 

飼ったこともなければたぶん触ったことすらないし、昔はふわふわしている哺乳類系は「命感がすごすぎて怖い」とかいう分かるようなよく分からない理由から、ペットで愛される類の生き物を恐れていた。

それを克服したいまも、飼いはじめたのは猫ではなく犬だった。だって、気ままな生き物より忠実な方が飼うなら扱いやすい。

 

そんなわたしは、猫派・犬派論争があったら確実に犬派なんだけど、どちらになりたいかと言われれば圧倒的に猫だ。

自分がなれるなら気ままに誰かを振りまわしたい。

 

猫っぽい女の子って、やっぱりいい。

 

イラストとかで描かれちゃうとなんだかあざとさの塊みたいなことが多いけど、操れない人って男女問わず魅力的だもの。

 

 

適度にじゃらされながらも、ふらふらとつかみどころがない、そんな魅力的な女性になれたらと恋愛に悩むアラサーは思うばかり。

わたしの誇れること

今週のお題「表彰状」

 

わたしは根っからに賞というものにあまり興味がない。

そりゃもらえれば嬉しいけれど、わたしの愛する周りの人たちが「すごいね」だとか「よく頑張ったね」だとかを言ってくれればそれだけでえっへん!となれるような幼少期だったし、いまもそうだ。

 

そんなわたしが花マルをもらえるようなことといえば、昔あった(いまもあるのかな?)羽田空港に飾られるビッグバード展や、テストであった靴のデッサンや、学校で作らされた絵本や詩集など絵や文字に関することだけだった。

 

自分の絵に貼り付けられたキラッと光る赤い星や、デッサンで唯一満点をもらった生徒であったこと、作った絵本を先生が放課後「それを譲ってって言ったら迷惑かな…?」ともらいに来てくれたこと、書いた詩集を読んだ知らない生徒たちからお手紙をもらったこと。

表彰されるようなことではどれもなかったけれど、走って帰っておかあさんに報告したくなるほど嬉しかった。

 

そんなわたしが唯一外できちんと表彰されたことがある。何がテーマであったのかなにも思い出せないが、何かについての作文のようなものを書かされて都庁で表彰された。小学生のときだった。

 

この時の記憶にあるのは賞とは関係ないことばかり。

 

大好きだったおじさん先生が放課後こっそり「〇〇ちゃんは文章が好きだから、これについてよかったら書いてみない?」とスパイさながらの小声で話しかけてきたこと。

 

書いた文章が都庁で表彰されることになって、おかあさんがお洋服を全身買ってくれたこと。(なぜだかラベンダーになりたくて全身淡かったり濃かったりする紫の服を選んだ)

 

表彰式のあと、おかあさんと学校を早退してまで式を見に来てくれた妹と、3人でおいしいスパゲティを食べたこと。

そのお店の壁画がとてもすてきだったこと。

 

 

結果より過程が大事だとも思わないし、結果が伴わなければ意味がないとも思わない。

がんばる過程で、忘れられない思い出ができること、それが大事だと知ってることがわたしの誇れること。

 

見ないふりとやめること

去年の今頃、デパートで開催されるバレンタインフェアに行った。

 

甘ったるい匂いと、混み混みのフロアにうんざりする女の人たちの苛立ちを肌で存分に感じながら、わたしも好きな人に渡したいチョコレートを選んだ。

 

「きっと彼はあまり甘いものが好きじゃないから」とか、「量もたくさん食べれないだろうし、いいチョコレートが2つ3つの方がセンス良さそうだよな」とか、「ハート型はやりすぎだよなあ」とか、恋する女子っぽい思考をフル回転させていた。

 

 

だけど、バレンタイン直前わたしはその彼のために買ったチョコレートを全部自分で食べた。

 

 

詳しくは思い出せないけれど、たぶん彼が他の女の子と会ってたとか、飲み会でデレデレしてたとか、そんな理由だったと思う。

嫌になったのだ。好きでいるのが馬鹿らしくなった。

 

付き合ってないんだもの、しょうがない。

わたしには彼の行動や気持ちの動きひとつひとつになにも言う権利を持っていなかったんだもの。

 

それでも悲しかった。

彼のために選んだチョコレートを見ただけで、悲しい気持ちと、うまくいかない恋愛への腹立たしさがふつふつとわいてきて不快だった。

 

愛を食べてやった。

あいつにあげるための愛を口いっぱいに放り込んだ。

 

なにも美味しくなかったし、悲しい気持ちが増すだけだった気がする。

 

 

そんな思い出から1年経って、わたしはつい先日彼の連絡先を消した。

 

いろいろ吹っ切れたつもりでいたけれど、わたしはまだまだ好きが全開だった。

割り切った関係とか、わたしには無理だった。

 

合コンがどうだったとか聞いてほしくないし、教えてほしくもない。なんなら行かないでと言ってほしいし、行ってほしくもない。

誰に告白されたとか教えてほしくないし、わたしがする同じ話はやきもちをやいてほしいからだと気付いてほしい。

 

もうなんとも思ってない風を装って笑顔で一緒にいるのはつらくなってしまった。

 

好きだったなあ。

 

いまも全然好き。

 

 

今年のバレンタインはあげたい愛を買いに行く予定もないし、あげたかった愛を1人で食べる予定もない。

 

大人な関係に見ないふりをすることと、好きな気持ちを断ち切ること、一体どっちが苦しいのか分からなくなってしまった夜です。

 

オレンジデイズ

わたしがもう一度見たいドラマは間違いなくダントツで「オレンジデイズ」だ。

 

そもそもわたしはドラマをあまり見ないから、ドラマを語るにおいて持っている情報量があまりにも少なすぎるのだが、きっとオレンジデイズ派は多いはず。

 

 

そしてそれと同じくらいこう言う人も多いはず。

 

 

「あんな大学生活は実際ありえない。」

 

 

分かる。分かりみがすぎる。

 

オレンジデイズのようなキャンパスライフに憧れていたけれど、いざ入学してみると当たり前だが妻夫木聡のような人はいなかったし、成宮寛貴のような顔が整いすぎている遊び人もいなかったし(中の下みたいな遊び人はわんさかいたけど)、瑛太みたいな素敵な男友達もできなかった。

 

というか、そもそも自分が柴咲コウ白石美帆のようではなかった。

 

出逢いだって少なかったし、あんな爛々とした毎日は送れず、なんならサボることばかり考えていた。

 

 

まあでも、

現実では少ないながらの出逢いの中から、妻夫木聡にはほど遠いが素敵な優しい彼氏ができたし、サボりながら食べたごはんは美味しすぎた。

 

それに当時のわたしは外国人の赤毛に憧れて、ずっと髪の毛をオレンジにしていたから、考えようによってはオレンジデイズだった。

しょうもないけれど。

 

 

これでわたしの大学生活のエンディングにミスチルでも流れたら、中の下が送れる最大限のドラマライフだったのかもしれないねっていう話。

 

お題「もう一度見たいドラマ」