歌いながら歩く夜
映画を見た。
最近は映画館に行かなくても、レンタルショップへ行かなくても、自宅で、職場でだってスマホがあれば映画を見れちゃう時代だからすごい。
ずっと見たくて、映画館に足を運びたかった「シングストリート」と、タイトルが耳に残りすぎて、かつその言葉の並びが好きすぎて見てしまった「夜は短し歩けよ乙女」の2作。
「シングストリート」は文句なしに好き!
飛び抜けるほどではないけど、映画の登場人物となるには充分な個性を持ち合わせた仲間たちと、キャッチーで思わずサントラを購入したくなるほどの挿入歌の数々。
あんな青春を送れたら、だとか
あんなお兄さんがいたら、だとか
あらゆる羨ましさと青春独特のさわやかさとむずがゆさがぎゅぎゅっと詰まっている。
「夜は短し歩けよ乙女」は、なんだかよく分からないけれど面白かったと言ってしまう映画だった。
顔がタイプすぎるでお馴染みの星野源が吹き替えをやっていることもさることながら、こちらは登場人物の個性が強すぎる。
キャラのたってる本や映画が好きだから、わたしはこのくらいの方が好きだったりする。
あんな一夜があったらうんざりするかもしれないけど、うんざりするくらいてんこ盛りな一夜が人生に一度くらいはあってもいい気がした。
久しぶりに、本だとか映画だとかをたくさんカラダに取り入れたくなったものだから、そのぶん吐き出したい感情にもかられているこの頃。
母の日
今週のお題「おかあさん」
おかあさん、いつもありがとう。
とってもありきたりだけど、結局のところこの言葉に尽きる気がする。
わたしの母親は決してパーフェクトな母親ではない。
だけれど、毎日早く起きては朝食をつくり、仕事へ行き、疲れた体でスーパーへ向かい夕食に頭をめぐらせる。休む暇もなく夕食の支度にとりかかり、揚げ物なんか作ろう日には、調理中にムカつきを覚え、せっかく出来上がったのにも関わらず自分は食べなかったりする。
平日も、土日も、祝日だってない。
洗濯をしたり、掃除機をかけたり。
いつだってせかせかと動き回っているのに、少しでも家にほこりが落ちてたりすると、まるですべてが出来てないかのように父親に文句を言われかねない。
大人になって、改めて母親の凄さがわかる。
だって、冬の早起きがどんなに辛いか知っている。
仕事終わりに活動するのがどんなにしんどいか知っている。
野菜やお米を入れたスーパーの袋がどれだけ重いか知っている。
いつだって「もっと休みたい」と思っているんだから、年中無休なんてありえないことだって知っている。
母親は偉大だ。
ありきたりで、オリジナリティもなんにもないけれど、この言葉に尽きる。
おかあさん、いつもありがとう。
わたしの彼は国宝級
春が本格的に始まるなあ、なんて頃
友だちの紹介で、ある人に出会った。
お酒が好きで、適度に適当で、言葉にしていない部分の感情を汲み取るのがとっても得意な人だ。
何度か2人で食事をかさねて、20代後半ではめずらしいくらいに少しずつ距離を縮めて、それでも結婚に対する考えや家族構成、自分の良くないところも含めて、伝えておかなくてはいけない大人の話もしっかりとした。
そんな彼から、夜景がびしっと見渡せる場所で告白されて、晴れてお付き合いがはじまりました。
5月を目前にした4月の終わりのこと。
わたしにも少しばかり遅れて春がやってきた。
通知がくるたびににまにましてしまうほどの愛がいっぱい詰まったLINEや、糖度の高い言葉や、外国人ばりの愛情表現にとまどうこともあるけれど、やっぱりどの角度から見たって嬉しさしかない。
彼といると、愛が目に見える気がするし、見えないものを見えるようにできる彼は魔法使いなんじゃないかと思うほど。
わたしはとってもラッキーだ。
誰よりもうんとうんと幸せになれそうな、そんな5月。
働きたい人生があってもいい
わたしは販売員。
店頭に立ち、お店に並ぶ商品の中からお客様のニーズにあったものをご提案し、「おお!これこれ!」だとか「え!すごい!こういうのもいいですね!」なんてことになれば万々歳な仕事をしている。
高校生のときにやっていたアルバイトも、大学生になって掛け持ちしたいくつものアルバイトも、大学を中退してまでもやりたいと思った仕事も、すべて接客業だった。
始めたきっかけ自体はすごく分かりやすいもので、〝アルバイトを始めるならとりあえずコンビニからやってみるか〟というものだったし、それ以降も〝おしゃれなカフェでも働いてみたい〟だとか〝雑貨が好きだから〟という分かりやすくて、自分の要望とお金を稼ぐという本来の意味のバランスを上手にとったものだった。
そんな分かりやすい理由で始めた仕事の持つ意味が変わってきたのは21歳くらいの頃。
その時わたしは花屋で働いていた。
〝花が好きだから〟とか〝色に囲まれて働きたい〟といった理由から選んだ仕事だった。
想像よりはるかに過酷な仕事で、歳上のお姉さんたちとの人間関係や知識と技術をつめこむのには苦労したけれど、それなりの楽しさとやりがいを見つけて充実した日々を送っていた。
そんなある日。
店頭に立つわたしに、1人の男性がキラキラした顔で話しかけてきた。
「クリスマスのディナーの時にテーブルに飾るアレンジメントをください!」
そう言っていた。
男性なのに珍しいな、彼女とおうちごはんかな?なんて思いながら、色はどうしますか?だとかどういった雰囲気がいいですか?などと聞いていると、その男性が「実は…」と話し始めた。
聞くと、以前その男性は好きな女の人に想いを伝えるために花束を買ったそう。
その花束のおかげもあってか無事に告白は成功したらしく、その愛する彼女との初めてのクリスマスを迎えるらしい。
そしてその花束をつくったのがわたしということだった。
「お姉さんのおかげなんです!彼女すっごい喜んでくれて!大事なクリスマスだからまたお姉さんにお願いしたいなって思って来ました!」
その時のわたしの気持ちは正直、きょとんだった。びっくりしていた。
自分の仕事が誰かの人生に大きく関わるなんてこと思ってもみなかったし、誰かの記憶の1ページに残るなんて思ってもみなかった。
わたしの手元から離れた花たちに想いを馳せるなんてことがなかったけれど、とても大事で素敵な仕事をしているんだと誇らしくなった。
色と香りと気持ちをぎゅっと束ねてわたしは花を売っていた。
あれから数年経って、いまは花以外のものを売っている。
もちろん根底にあるのは〝好きだから〟という思いだけれど、モノ以外も売っているつもりで働いている。
わたしがいいと思ったモノたちが、5年後も10年後も誰かの心にとまるものであれば嬉しいし、誰かの人生の一部に大事な意味をもってくれたらこんなに素晴らしいことはないと思っている。
「仕事はなんですか?」と聞かれたら、こう答えたい。
わたしは販売員。
モノと想いを売っている、と。
楽しいと嬉しいを持ち歩く
今週のお題「カバンの中身」
昔から持ち物が多いわたしのカバンの中身はいつだって騒がしい。
お気に入りのリップと目薬はマスト。
それに加えて、1泊くらいなら余裕すぎるクレンジングや化粧水、美容液に洗顔も入っている。
どれもサンプルでもらったような一包になってるタイプだけど、これを持ち歩いていると「わたしはいつだってどこにだって行けるんだ!」という気持ちになるから好きだ。
勇気さえあれば仕事だってほっぽり出してたびに出れるんだという、自分を奮い立たせるお守りみたいなもの。
まあ、ありがたいことに、ほっぽり出すほどの嫌な仕事にはついたことがないのだけれど。
お気に入りのレザーカバーをまとった手帳に、お気に入りのボールペンや万年筆に鉛筆も。
紡ぎだす言葉はもちろんだけど、手書きの文字はそれ以上にその人の個性が出るから好きだ。
たとえ「ありがとう」の一言であっても、字が大きい人なんだなあとか、こういう色のインクが好きなのかなあとか、その人のことを感じることができる。
それにあわせて、いつでもささっとメッセージが残せるようにカードやちいさいレターセットやぽち袋もマスト。
たとえコンビニで買ったお菓子でも、カードが添えられていればそれだけで立派なプレゼントに変身する。
そして忘れちゃいけない、ハンカチ。
ハンカチそのものの役割が大事なのはもちろん、お気に入りの柄の布を持ち歩くってとても素敵なことのように思う。
洋服と違ってさりげないものだからこそ、思い切った柄を選ぶこともできるし、なによりカバンの中が楽しくなる。
スマホを触りながらちらっとのぞいたカバンの中が、今日も変わらず騒がしくて、嬉しくなる朝。
父と子と
わたしの家は、父母わたし、そして妹の4人家族。
もれなく水よりアルコールを選択するような3人と、アルコールを体が拒否するもののテンションが完全に酔っ払いな妹で構成されていて、ちいさい時から酔ってる両親を見るのは当たり前、深い話はお酒の最高のあてであることは当たり前、な教育を受けてきた。
もちろん、いまでこそ笑って話せるようなお酒の失敗や、時がいくら経とうと笑えないお酒が入った上の言動も数えきれないほど目の当たりにしているのだが、不思議なもので、大人になったわたしはやはりお酒ありきな仲の深め方しか知らないような気がする。
そんな酒飲みの両親とわたしの3人は、最近仲良く飲みに行くことも増えた。
今日も仕事おわりに待ち合わせてすでに泥酔してた母(これもよくある)と、父とわたしでお酒を交わしてきた。
大人になると、素敵なことでもあり老いを実感する瞬間でもあるのだけど、お酒が入って涙することが増える。今日ももれなくそんな日。
泥酔して早々にテーブルに突っ伏してしまった母をよそに(これもよくある)、父といろいろ深かったり浅かったりする話をしていたわたし。
昔は鬱陶しかった父の言葉にも素直に頷けるようになったわたしと、そんなわたしの言葉をきちんと受け取ってくれるようになった丸くなった父がそこにはいて、時の流れと成長とを実感した。
わたしはOLじゃないから10歳以上年の離れた男の人と話す機会は父以外にないといっても過言じゃない。
人は、すべてをちゃんと素直に受け入れるようになるのに時間がかかる。
27歳になる娘と55歳になる父がやっとこお互いをちゃんと分かり合えるようになって、やっとこいい関係性を築けるようになった。
人生まだまだだけど、わたしと父の残された時間ってそんなに長くないのかもしれないなあ、と。
単純にわたしが「娘」だけに専念できる時間。
泣けちゃう。
今度2人で父の行きつけのスナックへ飲みに行く予定。
腕を組みながら笑って歩く帰り道が待ち遠しいな。
プライド
〝中途半端なやつほどプライドが高い〟
これはわたしが昨夜学んだこと。
おいしいごはんと、おいしいお酒と、みんなの笑顔が溢れるはずだった飲みの席でのことだった。
30歳、男性、2人。
おそらく同年代のサラリーマンよりはお金をもらっているらしい2人は、少し歳下のわたしに向かって、「いいよなー、〇〇ちゃんはまだやったことないことばっかりでしょう?俺なんてもう楽しいこともすごいこともやり尽くしちゃったもん。人生の上限知っちゃったからこの先つまんないわー」と、ビール片手に笑ってた。
27歳、女性、わたし。
お給料だって標準程度、人生の上限なんて知らない。楽しいことも、わくわくすることも、どきどきすることも、美味しいものや素敵な場所に巡り会うこともこれから山ほどある。そう思っている。
もしも、本当にもしも人生に楽しいことの上限があるのなら、それをまだ見ぬ若い世代へ教えてあげたらいいのに、と思った。それが素晴らしい先輩であり、男のふところの深さを見せるのだと。
そんなわたしと相容れない彼らは、ただただ歳下のわたしに自らのポリシーなり経験という経験すべてを聞かせたかったらしい。
響かないのになあ、と思った。
聞かせようと話す言葉って響きづらい。
思わずもれでちゃったみたいな、準備していない表現で思わず吐露しちゃった、みたいな言葉が人の心に残る気がする。
かっこいい大人になりたい!本気でそう思った。
かくいうわたしも、昨夜の彼ら同様きっと中途半端だから。彼らのような歳の重ね方をしないためにもいまいちど自らに喝をいれたかった。
まだまだ人生のぺーぺーで、少しばかりの経験と僅かばかりの武器たちで、わたしも一丁前の大人になった気でいるんだと思う。
わたしがわたしらしくいるためにもほんのちょっとのプライドは持っていたいけれど、それを脱ぎ去ってだれかの言葉にきちんと耳を傾けられるような人ではありたいな。