ふわりのぽつり

うたって踊って恋をするような世界ってすばらしいよねって。

やってきたね7月

7月に入って、ばさばさと降ってくる仕事たちと、上司からの要望。

 

 

いままでは上に立つ立場じゃなくたって心持ちは同じ!!という気持ちで働いてきたけれど、やっぱり立場というものは違うんだと実感中。

 

 

それだけ責任があり、期待もあり、数字だって背負わなくちゃいけないんだもんな。

 

 

 

あらゆる仕事のプレッシャーと、連日のサッカーによる寝不足からか胃を見事に壊すわたし。

 

センシティブ。

 

 

胃を壊したら口内炎がとまらなくなって、悪循環が起こってしまった。

 

あーあ。

 

 

 

明日からはお楽しみなプチ旅行。

 

ここは一旦お仕事はおうちに留守番してもらうとしてゆっくりしてこよう。

上半期のハイライト

今週のお題「2018年上半期」

 

少し前にも書いたけれど、2018年に入ってからのわたしは目まぐるしかった。

 

 

1月

年が明けてもなお、わたしは不毛な恋愛中。

むしろ恋愛と自分で言っているだけの、人には自慢できない関係。

 

仕事だって、なんだかもやもや。

裏切られたり、がっかりしたりの連続だった。

 

 

2月

2年間どうにも進展することなく立ち往生していた不毛な恋愛にいよいよ嫌気がさしてきたころ。

懐かしい友人に会って、なんだか流れが変わりそうな予感を抱えていた。

 

 

3月

転職。

心機一転、いままで降り立たなかったような、降り立つとも思っていなかった場所で働くことになった。環境を変えるって大事。

 

不毛な関係にもさようなら。

案外さっぱり忘れられて、相手にも甘んじて受け入れてきた自分にも疲れてたんだな、と実感。

 

久しぶりに会った友人から拡がる輪。

いまの彼との出会ったのもこの頃。

 

 

4月

絵に描いたみたいな告白と、絵に描いたみたいな彼氏。

誰かが歌っていた「肉眼で確認できる愛」とはこのこと。

 

甥っ子も誕生。

「おばさん」という新しい肩書きを手にして、わたしの人生がまたぐんと拡がった気がした。

 

 

5月

しあわせと充実しかない毎日。

わたしは本当にラッキー。

愛とか、優しさとか、やりがいとか。そんな目には見えないけれど人生でずっと忘れず持っていたいものたちをばちばちに感じる日々。

 

 

6月

とんとん拍子の出世。

なんと社内最速!

偶然の再会や、ラッキーなハプニング。彼と一緒にいるとどうやら幸運を引き寄せるらしい。

 

 

 

 

そんな上半期。

 

別れて、辞めて、始めて、出会った。

 

半年間の出来事とは思えないほどたくさんのことがあって、半年前とは大きく環境も自分自身も変わった。

 

 

このスピードで下半期も駆け抜けて、きっとわたしは今年が終わる頃、いまよりもっと成長しているはず。

 

さよなら、ジューン

やってきますね、7月。

 

 

あっという間に2018年も半分が終わろうとしているらしい。

 

 

「平成最後の夏」だなんて言われているけれど、それってとってもロマンチック。

 

高校最後の夏、だとか

最後の文化祭、だとか

独身最後の夜、だとか

 

人生にはいろんな「最後」イベントがあるけど、どれもエモくて、どこか悪くて、胸がきゅうっとなる。

見えない何かに少しばかり後押しされるような感覚もあったりなかったり。

 

 

そんなわたしも、どうやら平成最後の夏が独身最後の夏になりそう。

 

 

うまくいくときはトントン拍子だよ、だとか

出会うときは出会っちゃうんだから、だとかはわたしの人生には起こらないものだとどこかで諦めていたけど、わりとベタな人生だったみたいです。

 

 

恋愛も、仕事も、すべてが目まぐるしく進んでいって、それがとっても心地のいいスピード感で、チャンスに恵まれた人生に産んでくれてありがとう!と両親に感謝せざるを得ない今日この頃。

 

 

 

彼と出会って、わたしと彼の生み出す幸せで、きっと地球も少しばかり太ったような気がするくらい。

 

そんな惚気がこぼれるくらいに満たされる上半期。

 

 

父の日に思うこと

今週のお題「おとうさん」

 

小さい頃、わたしが父親に抱いてたイメージは「怖さ」しかなかった。

 

いつだって無口で、豪快に笑うわけでもなければ微笑みながらわたしと妹を見守ることだってなかった。

 

そんな、わたしが初めて接する大人の男性だった父親は、怒っていなくたって同じ空間にいるだけで少し緊張してしまうような、そんな存在だった。

 

 

それでも、たまのたまに、休日にお布団にごろんとなる父親に足で支えられ、ぶーんと飛行機ごっこをした時の楽しさや、「すごいやん」と学校で書いた作文や絵を褒められた時の嬉しさはよく覚えている。

 

母親にだって、おじいちゃんやおばあちゃんにだって褒められればうんと嬉しかったけれど、父親のそれとは何かが決定的に違ったように思う。

 

 

 

少し大人になってから、わたしは父親とよく喧嘩するようになった。

 

 

もともと性格が似ているのだと思う。

どちらも負けず嫌いで、諭したがりで、かっこつけなのだ。

 

馬鹿ほど大きい声で怒鳴られたこともあれば、石になるんじゃないかと思うくらい鋭い目で睨まれたこともあるし、静かに口論したこともある。

 

 

お酒を一緒に飲むようになって、仕事についてだったり愛や結婚について話したこともある。

 

 

それは言い合いの発端にもなりえたし、お互いを尊敬し合う機会にもなったし、お互いの思わぬ面を目にするきっかけにもなった。

 

 

 

きっとこれからも、決して多くはないけれど中身のぎゅぎゅっと詰まった会話を交わしながら、娘として、父親として、1人の人間として、お互いに成長していくのだと思う。

 

 

大人になって分かる父親の大変さもあれば、我が子を見て思い出す、若かりし頃の夢があるのかもしれない。

 

 

そんなことを考えながら今日も互いに仕事につとめて、愛する人のために想いをめぐらせている。

 

素敵な人生に育ててくれてありがとう。

歌いながら歩く夜

映画を見た。

 

最近は映画館に行かなくても、レンタルショップへ行かなくても、自宅で、職場でだってスマホがあれば映画を見れちゃう時代だからすごい。

 

 

ずっと見たくて、映画館に足を運びたかった「シングストリート」と、タイトルが耳に残りすぎて、かつその言葉の並びが好きすぎて見てしまった「夜は短し歩けよ乙女」の2作。

 

 

「シングストリート」は文句なしに好き!

 

飛び抜けるほどではないけど、映画の登場人物となるには充分な個性を持ち合わせた仲間たちと、キャッチーで思わずサントラを購入したくなるほどの挿入歌の数々。

 

あんな青春を送れたら、だとか

あんなお兄さんがいたら、だとか

あらゆる羨ましさと青春独特のさわやかさとむずがゆさがぎゅぎゅっと詰まっている。

 

 

夜は短し歩けよ乙女」は、なんだかよく分からないけれど面白かったと言ってしまう映画だった。

 

 

顔がタイプすぎるでお馴染みの星野源が吹き替えをやっていることもさることながら、こちらは登場人物の個性が強すぎる。

 

キャラのたってる本や映画が好きだから、わたしはこのくらいの方が好きだったりする。

 

 

あんな一夜があったらうんざりするかもしれないけど、うんざりするくらいてんこ盛りな一夜が人生に一度くらいはあってもいい気がした。

 

 

 

 

久しぶりに、本だとか映画だとかをたくさんカラダに取り入れたくなったものだから、そのぶん吐き出したい感情にもかられているこの頃。

母の日

今週のお題「おかあさん」

 

おかあさん、いつもありがとう。

 

 

とってもありきたりだけど、結局のところこの言葉に尽きる気がする。

 

 

わたしの母親は決してパーフェクトな母親ではない。

 

 

だけれど、毎日早く起きては朝食をつくり、仕事へ行き、疲れた体でスーパーへ向かい夕食に頭をめぐらせる。休む暇もなく夕食の支度にとりかかり、揚げ物なんか作ろう日には、調理中にムカつきを覚え、せっかく出来上がったのにも関わらず自分は食べなかったりする。

 

平日も、土日も、祝日だってない。

 

洗濯をしたり、掃除機をかけたり。

 

 

いつだってせかせかと動き回っているのに、少しでも家にほこりが落ちてたりすると、まるですべてが出来てないかのように父親に文句を言われかねない。

 

 

 

大人になって、改めて母親の凄さがわかる。

 

 

だって、冬の早起きがどんなに辛いか知っている。

 

仕事終わりに活動するのがどんなにしんどいか知っている。

 

野菜やお米を入れたスーパーの袋がどれだけ重いか知っている。

 

いつだって「もっと休みたい」と思っているんだから、年中無休なんてありえないことだって知っている。

 

 

 

母親は偉大だ。

 

 

ありきたりで、オリジナリティもなんにもないけれど、この言葉に尽きる。

 

 

 

おかあさん、いつもありがとう。

わたしの彼は国宝級

春が本格的に始まるなあ、なんて頃

友だちの紹介で、ある人に出会った。

 

お酒が好きで、適度に適当で、言葉にしていない部分の感情を汲み取るのがとっても得意な人だ。

 

 

何度か2人で食事をかさねて、20代後半ではめずらしいくらいに少しずつ距離を縮めて、それでも結婚に対する考えや家族構成、自分の良くないところも含めて、伝えておかなくてはいけない大人の話もしっかりとした。

 

 

そんな彼から、夜景がびしっと見渡せる場所で告白されて、晴れてお付き合いがはじまりました。

 

5月を目前にした4月の終わりのこと。

わたしにも少しばかり遅れて春がやってきた。

 

 

 

通知がくるたびににまにましてしまうほどの愛がいっぱい詰まったLINEや、糖度の高い言葉や、外国人ばりの愛情表現にとまどうこともあるけれど、やっぱりどの角度から見たって嬉しさしかない。

 

彼といると、愛が目に見える気がするし、見えないものを見えるようにできる彼は魔法使いなんじゃないかと思うほど。

 

 

わたしはとってもラッキーだ。

 

誰よりもうんとうんと幸せになれそうな、そんな5月。