友達という言葉の破壊力
先日、「これぞ片思い!!!」なる場面を目撃した。
女性側が想いを寄せているパターンのやつで、彼女は相手の男性の一挙一動にきらきらしたり動揺しているのがほんとうに分かりやすい人だった。
ここがザ・片思いなのだが、切ないことに男性側はどうやら恋愛対象としてはまったく見てないようで、なおかつ別に想いを寄せる人がいるらしかった。
次のデートにいつ誘おうだとか、どこに行ったら喜んでくれるだとかを爛々としながら話す彼を見つめる彼女の表情は浮かなかったし、それを見ているわたしも至極苦しかった。
ああいう時、「わたしともデート行ってよ」だとか「妬いちゃうなー」だとかを口にできる女の人はすごい。うらやましい。
そういう人はきっと友達モードから恋愛モードへシフトチェンジできるようなタイプだし、きっと願った幸せをちゃんと掴めるタイプだ。
わたしも、もちろんその彼女もそういったタイプではないようで、「映画は?〇〇みたいって言ってたよ」だとか言って振り絞るような笑顔でアドバイスをしていた。
わかる。つらいよね。わたしもそうしちゃう。
そんな彼女の気持ちにはまったく気づいていない彼は、会話の終盤で「ありがとうな!俺ほんといい友達もったわー!」ときらきらした笑顔で言っていた。
「友達」
なんて罪すぎる言葉なのだろう、と思った。
悪気があったわけじゃ決してないし、誰も悪くなんてない。
それでも時に言葉は凄まじい破壊力を持ってしまうものなのだ。
最高の友達なんて思われるより、好きをぶつけてあっさり振られてしまう方がマシなのかもしれない、そんなことを思った夜だった。