さよなら、ジューン
やってきますね、7月。
あっという間に2018年も半分が終わろうとしているらしい。
「平成最後の夏」だなんて言われているけれど、それってとってもロマンチック。
高校最後の夏、だとか
最後の文化祭、だとか
独身最後の夜、だとか
人生にはいろんな「最後」イベントがあるけど、どれもエモくて、どこか悪くて、胸がきゅうっとなる。
見えない何かに少しばかり後押しされるような感覚もあったりなかったり。
そんなわたしも、どうやら平成最後の夏が独身最後の夏になりそう。
うまくいくときはトントン拍子だよ、だとか
出会うときは出会っちゃうんだから、だとかはわたしの人生には起こらないものだとどこかで諦めていたけど、わりとベタな人生だったみたいです。
恋愛も、仕事も、すべてが目まぐるしく進んでいって、それがとっても心地のいいスピード感で、チャンスに恵まれた人生に産んでくれてありがとう!と両親に感謝せざるを得ない今日この頃。
彼と出会って、わたしと彼の生み出す幸せで、きっと地球も少しばかり太ったような気がするくらい。
そんな惚気がこぼれるくらいに満たされる上半期。
父の日に思うこと
今週のお題「おとうさん」
小さい頃、わたしが父親に抱いてたイメージは「怖さ」しかなかった。
いつだって無口で、豪快に笑うわけでもなければ微笑みながらわたしと妹を見守ることだってなかった。
そんな、わたしが初めて接する大人の男性だった父親は、怒っていなくたって同じ空間にいるだけで少し緊張してしまうような、そんな存在だった。
それでも、たまのたまに、休日にお布団にごろんとなる父親に足で支えられ、ぶーんと飛行機ごっこをした時の楽しさや、「すごいやん」と学校で書いた作文や絵を褒められた時の嬉しさはよく覚えている。
母親にだって、おじいちゃんやおばあちゃんにだって褒められればうんと嬉しかったけれど、父親のそれとは何かが決定的に違ったように思う。
少し大人になってから、わたしは父親とよく喧嘩するようになった。
もともと性格が似ているのだと思う。
どちらも負けず嫌いで、諭したがりで、かっこつけなのだ。
馬鹿ほど大きい声で怒鳴られたこともあれば、石になるんじゃないかと思うくらい鋭い目で睨まれたこともあるし、静かに口論したこともある。
お酒を一緒に飲むようになって、仕事についてだったり愛や結婚について話したこともある。
それは言い合いの発端にもなりえたし、お互いを尊敬し合う機会にもなったし、お互いの思わぬ面を目にするきっかけにもなった。
きっとこれからも、決して多くはないけれど中身のぎゅぎゅっと詰まった会話を交わしながら、娘として、父親として、1人の人間として、お互いに成長していくのだと思う。
大人になって分かる父親の大変さもあれば、我が子を見て思い出す、若かりし頃の夢があるのかもしれない。
そんなことを考えながら今日も互いに仕事につとめて、愛する人のために想いをめぐらせている。
素敵な人生に育ててくれてありがとう。
歌いながら歩く夜
映画を見た。
最近は映画館に行かなくても、レンタルショップへ行かなくても、自宅で、職場でだってスマホがあれば映画を見れちゃう時代だからすごい。
ずっと見たくて、映画館に足を運びたかった「シングストリート」と、タイトルが耳に残りすぎて、かつその言葉の並びが好きすぎて見てしまった「夜は短し歩けよ乙女」の2作。
「シングストリート」は文句なしに好き!
飛び抜けるほどではないけど、映画の登場人物となるには充分な個性を持ち合わせた仲間たちと、キャッチーで思わずサントラを購入したくなるほどの挿入歌の数々。
あんな青春を送れたら、だとか
あんなお兄さんがいたら、だとか
あらゆる羨ましさと青春独特のさわやかさとむずがゆさがぎゅぎゅっと詰まっている。
「夜は短し歩けよ乙女」は、なんだかよく分からないけれど面白かったと言ってしまう映画だった。
顔がタイプすぎるでお馴染みの星野源が吹き替えをやっていることもさることながら、こちらは登場人物の個性が強すぎる。
キャラのたってる本や映画が好きだから、わたしはこのくらいの方が好きだったりする。
あんな一夜があったらうんざりするかもしれないけど、うんざりするくらいてんこ盛りな一夜が人生に一度くらいはあってもいい気がした。
久しぶりに、本だとか映画だとかをたくさんカラダに取り入れたくなったものだから、そのぶん吐き出したい感情にもかられているこの頃。
母の日
今週のお題「おかあさん」
おかあさん、いつもありがとう。
とってもありきたりだけど、結局のところこの言葉に尽きる気がする。
わたしの母親は決してパーフェクトな母親ではない。
だけれど、毎日早く起きては朝食をつくり、仕事へ行き、疲れた体でスーパーへ向かい夕食に頭をめぐらせる。休む暇もなく夕食の支度にとりかかり、揚げ物なんか作ろう日には、調理中にムカつきを覚え、せっかく出来上がったのにも関わらず自分は食べなかったりする。
平日も、土日も、祝日だってない。
洗濯をしたり、掃除機をかけたり。
いつだってせかせかと動き回っているのに、少しでも家にほこりが落ちてたりすると、まるですべてが出来てないかのように父親に文句を言われかねない。
大人になって、改めて母親の凄さがわかる。
だって、冬の早起きがどんなに辛いか知っている。
仕事終わりに活動するのがどんなにしんどいか知っている。
野菜やお米を入れたスーパーの袋がどれだけ重いか知っている。
いつだって「もっと休みたい」と思っているんだから、年中無休なんてありえないことだって知っている。
母親は偉大だ。
ありきたりで、オリジナリティもなんにもないけれど、この言葉に尽きる。
おかあさん、いつもありがとう。
わたしの彼は国宝級
春が本格的に始まるなあ、なんて頃
友だちの紹介で、ある人に出会った。
お酒が好きで、適度に適当で、言葉にしていない部分の感情を汲み取るのがとっても得意な人だ。
何度か2人で食事をかさねて、20代後半ではめずらしいくらいに少しずつ距離を縮めて、それでも結婚に対する考えや家族構成、自分の良くないところも含めて、伝えておかなくてはいけない大人の話もしっかりとした。
そんな彼から、夜景がびしっと見渡せる場所で告白されて、晴れてお付き合いがはじまりました。
5月を目前にした4月の終わりのこと。
わたしにも少しばかり遅れて春がやってきた。
通知がくるたびににまにましてしまうほどの愛がいっぱい詰まったLINEや、糖度の高い言葉や、外国人ばりの愛情表現にとまどうこともあるけれど、やっぱりどの角度から見たって嬉しさしかない。
彼といると、愛が目に見える気がするし、見えないものを見えるようにできる彼は魔法使いなんじゃないかと思うほど。
わたしはとってもラッキーだ。
誰よりもうんとうんと幸せになれそうな、そんな5月。
働きたい人生があってもいい
わたしは販売員。
店頭に立ち、お店に並ぶ商品の中からお客様のニーズにあったものをご提案し、「おお!これこれ!」だとか「え!すごい!こういうのもいいですね!」なんてことになれば万々歳な仕事をしている。
高校生のときにやっていたアルバイトも、大学生になって掛け持ちしたいくつものアルバイトも、大学を中退してまでもやりたいと思った仕事も、すべて接客業だった。
始めたきっかけ自体はすごく分かりやすいもので、〝アルバイトを始めるならとりあえずコンビニからやってみるか〟というものだったし、それ以降も〝おしゃれなカフェでも働いてみたい〟だとか〝雑貨が好きだから〟という分かりやすくて、自分の要望とお金を稼ぐという本来の意味のバランスを上手にとったものだった。
そんな分かりやすい理由で始めた仕事の持つ意味が変わってきたのは21歳くらいの頃。
その時わたしは花屋で働いていた。
〝花が好きだから〟とか〝色に囲まれて働きたい〟といった理由から選んだ仕事だった。
想像よりはるかに過酷な仕事で、歳上のお姉さんたちとの人間関係や知識と技術をつめこむのには苦労したけれど、それなりの楽しさとやりがいを見つけて充実した日々を送っていた。
そんなある日。
店頭に立つわたしに、1人の男性がキラキラした顔で話しかけてきた。
「クリスマスのディナーの時にテーブルに飾るアレンジメントをください!」
そう言っていた。
男性なのに珍しいな、彼女とおうちごはんかな?なんて思いながら、色はどうしますか?だとかどういった雰囲気がいいですか?などと聞いていると、その男性が「実は…」と話し始めた。
聞くと、以前その男性は好きな女の人に想いを伝えるために花束を買ったそう。
その花束のおかげもあってか無事に告白は成功したらしく、その愛する彼女との初めてのクリスマスを迎えるらしい。
そしてその花束をつくったのがわたしということだった。
「お姉さんのおかげなんです!彼女すっごい喜んでくれて!大事なクリスマスだからまたお姉さんにお願いしたいなって思って来ました!」
その時のわたしの気持ちは正直、きょとんだった。びっくりしていた。
自分の仕事が誰かの人生に大きく関わるなんてこと思ってもみなかったし、誰かの記憶の1ページに残るなんて思ってもみなかった。
わたしの手元から離れた花たちに想いを馳せるなんてことがなかったけれど、とても大事で素敵な仕事をしているんだと誇らしくなった。
色と香りと気持ちをぎゅっと束ねてわたしは花を売っていた。
あれから数年経って、いまは花以外のものを売っている。
もちろん根底にあるのは〝好きだから〟という思いだけれど、モノ以外も売っているつもりで働いている。
わたしがいいと思ったモノたちが、5年後も10年後も誰かの心にとまるものであれば嬉しいし、誰かの人生の一部に大事な意味をもってくれたらこんなに素晴らしいことはないと思っている。
「仕事はなんですか?」と聞かれたら、こう答えたい。
わたしは販売員。
モノと想いを売っている、と。
楽しいと嬉しいを持ち歩く
今週のお題「カバンの中身」
昔から持ち物が多いわたしのカバンの中身はいつだって騒がしい。
お気に入りのリップと目薬はマスト。
それに加えて、1泊くらいなら余裕すぎるクレンジングや化粧水、美容液に洗顔も入っている。
どれもサンプルでもらったような一包になってるタイプだけど、これを持ち歩いていると「わたしはいつだってどこにだって行けるんだ!」という気持ちになるから好きだ。
勇気さえあれば仕事だってほっぽり出してたびに出れるんだという、自分を奮い立たせるお守りみたいなもの。
まあ、ありがたいことに、ほっぽり出すほどの嫌な仕事にはついたことがないのだけれど。
お気に入りのレザーカバーをまとった手帳に、お気に入りのボールペンや万年筆に鉛筆も。
紡ぎだす言葉はもちろんだけど、手書きの文字はそれ以上にその人の個性が出るから好きだ。
たとえ「ありがとう」の一言であっても、字が大きい人なんだなあとか、こういう色のインクが好きなのかなあとか、その人のことを感じることができる。
それにあわせて、いつでもささっとメッセージが残せるようにカードやちいさいレターセットやぽち袋もマスト。
たとえコンビニで買ったお菓子でも、カードが添えられていればそれだけで立派なプレゼントに変身する。
そして忘れちゃいけない、ハンカチ。
ハンカチそのものの役割が大事なのはもちろん、お気に入りの柄の布を持ち歩くってとても素敵なことのように思う。
洋服と違ってさりげないものだからこそ、思い切った柄を選ぶこともできるし、なによりカバンの中が楽しくなる。
スマホを触りながらちらっとのぞいたカバンの中が、今日も変わらず騒がしくて、嬉しくなる朝。